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世界遺産 中国・黄山の山登り(6日目)
2000/ 8/17〜22



豫園周辺の旧宅

上海から成田へ
 
チェックイン時に頼んだズボンのクリーニングが11時に出来上がるので、それまではのんびり散策することとする。7時、タクシー(10元)で上海駅に向かう。駅は改修工事中で、人の波は思ったほどではない。道端で哈蜜瓜の切り売り(1元)を食べる。容器の水分に浸かっていた部分はすえた臭いがする。腹がやられると思ったが、今回はセーフであった。ホリデーインで朝食(6元)とする。

 外は日が射して暑いが遠回りしながら歩く。コンビニでヤシの実ジュース(2.6元)を飲み涼む。新聞3紙(2.6元)を買ってホテルに戻る。10時半、ズボンは来ない。服務員に尋ねるが、新しい人で事情が分かっていない。フロントに聞いても返事が返ってこない。服務員から電話。「汚れが落ちない部分がある。」とのことだけれど、もう帰国の時間だから早く返してほしいと頼む。外注に出しているようで、11時に洗っていないまま戻ってきた。この間の服務員の奮闘に感謝して、不手際は忘れることとする。

 空港2線に乗るため、タクシー(11元)で上海展覧中心に向かうと、バスは発車間際で、タクシーとは反対車線にいる。運転手がUターンしバスの前を塞いでくれる。これに乗れないと次は20分後。なんと機転のきく運転手さんだ。「太謝々!」とお礼を言ってバス(19元)に乗り込む。

 空港ではチェックイン後、コンビニでヤシの実ジュース(4元)を飲んで休憩し、若干の茶葉(75元)を買う。空港利用税(90元)を払ってロビーに入り、使い残した人民元を両替して、JAL792便の人となる。


上海の歩行者天国

 旅の経費
  今回の旅は(も)、節約旅行をすることとした。上海までのJAL便はせっせと貯めたマイレージによる無料優待航空券。上海〜黄山〜上海間の移動、滞在で要した費用は3,312.5元(1元=13.6円)、44,900円であった。6日間の総経費の内訳は
  中国国内航空運賃 1,110元(15,000円)
  市内交通費        192元(2,600円)
  宿泊費           598元(8,100円)
  食費             398元(5,300円) 
  黄山ツアー        381元(5,200円)
  書籍・新聞         272元(3,700元)
  お茶・陶器等        370元(5,000円)
  公共(有料)トイレ     1.4元(20円)

 今回の黄山登山は、中国語で多少でも意思の伝達ができる場合の中国個人格安旅行のモデル?疲れのない快適な中国国内の旅を望むならやはりツアーがよい。ホテルのランクが違うし、肝炎の心配もいらない。


1990年代にはもうこの書城ができていた

 旅のまとめ
  
黄山の2日間のツアーは、上海の母と小学生の娘、杭州出身で上海に勤めるエンジニアの父と小学生の息子、東北丹東の母と大学1年の娘、上海出身の50歳代の夫婦、東北出身でシャンは勤務の朝鮮族の姉妹、青島出身の夫婦と小学生の息子、上海出身の大学生の兄妹と兄の同級生、地元黄山市の男性ガイドの18人がメンバー。

 日本での山登りと同様の身支度で登った黄山。最高峰が1834mといっても、気候や植生は六甲山のようなもの。オーバー過ぎるスタイルとなったが、しっかりした足元のせいか、12年前に登ったときのような激烈な筋肉痛にはならず、2回のストレッチで痛みも解消した。

 行程を共にした大学生は、中国人の間でもまったく世代の違いを見せる新人類。天真爛漫で明るく、未来を背負って歩く前途ある青年たちであった。メンバーの全員が都市の出身者で、生活も裕福そうであり、中国各地を旅行している経験を持っている。誰もが知識が豊かで、2日間話題の途切れることがない。以前の中国と違って、日本人だからと言う理由だけでは話かけてはこない。もっぱら中国語をどうやって覚えたかの質問が中心。興味本位の質問もない。物や金に関する話はほとんどない。大きな変化だ。


この風景は既に大昔のものになるほど変化は激しい

 中国人ツアー一行のスタイルも、黄山で見た日本人観光客のスタイルも差異はない。あるとすれば、日本の若い女性の明るいさっぱりしたスタイル。日本人の若い男性は、服装もスタイルもスマートさがない。すねているような奇妙な表情だけが目に付く。日本人の中高年にやや鷹揚な顔が見られるだけで、あとは中国のお上りさんと何ら変わらない。

 この旅で出会った中国人は、ほとんどが礼儀を持って接してくれ、親切でもあった。日本人だからというのではなく、中国語でコミュニケーションを図ることで、1対1の関係ができ上がるからだと思うし、中国人の興味も以前に比べると、ただ外国人だから、日本人だからという見方から脱しきれたのだと思う。

 黄山は、12年前の前回の1988年と同様の大雨に見舞われ、苦しい山行となったほか、雨が降っていない間は、高温多湿という悪条件となってしまった。しかし、ツアーに参加し、中国各地から黄山を目指してやってきた人々と、和気あいあいの3日間を過ごすことができ、得がたい日々となった。中国の一人旅は、苦しいこともあり、楽しい時間でもあり、充実した旅行となった。

 雨雨雨の毎日。黄山市の道路や公共施設の整備は遅れており、12年前と大きく変化しているところはなかった。上海の裏通りも、足を踏み入れるのに躊躇する。たいへん疲れる一方、地方の街、上海の裏通りを歩くときには、中国語を存分に使う機会に恵まれる。だが、絶対的な語彙不足、特に日常会話の根本での勉強不足を認識する。

 連泊2日目の部屋のベッドメーキングや掃除など一切やらず、まったく愛想のかけらもなかった金渓飯店の服務員を除く、多くの人の友誼と親切に感謝して。再見、黄山!。(2000/8/26記録)


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